広島みかん。(3)
2008年 09月 29日
【2008年9月27日(土)】(2) <中央通り~平和大通り比治山公園~広島市立まんが図書館>
このログは、10月26日(日)に書いてます。
さて、今回の旅の目的である「広島市立まんが図書館」に向かうのだ!!ぐわっ!!
ところで、そもそもこの図書館の存在を知るきっかけとなったのは、今年の夏休みに、猛烈に平田弘史を読みたくなって、新宿三丁目のジュンク堂に赴き、問題作「復讐 つんではくずし」のリメイク版「大地獄城」(少年キング1969年連載)を併載した「大地獄城、血だるま力士」を購入した際に、ネットで平田弘史関連情報を調べていたら、偶然このサイトにヒットしたからなんだ。
この記事によると、広島市立まんが図書館に入館したサイトの持ち主は、「平田弘史傑作集(全六巻)」(本文芸社/1996年)を発見し、腰を抜かすほど驚きながら、35年振りに目を通すオリジナルの「復讐つんではくずし」を読むことが出来、感慨ひとしおだった、というのである。
んじゃ、オレも行かねばね!!そんでもって、オレもこの、「平田弘史傑作集」を読まねばね、って思ったからなんだ。
チェックアウトしたホテルから図書館までのルートはこれなり。クリックすると地図が大きくなるよ。
<中央通り~平和大通り比治山公園>をひたすらアーカイヴ。
▼中央通りから平和大通りに出る。
▼京橋川に架かる鶴見橋を渡る。
▼比治山トンネルが見えて来たぜ。土地勘がないので、手にした地図では図書館までの効率的なルートがいまいちわからんのだよね~。とりあえず、トンネルをくぐって向こう側に出てみるしかないのよ。
▼トンネルを抜けると、行く手をおばあさんが歩いている山道に遭遇。比治山というくらいなので、たしかにここは山なのだ。この山道を登って行くしかないのだな。それにしても、けっこうな勾配だよな。
何年か前に、JR根岸線「石川町駅」から「港の見える丘公園」にある「神奈川近代文学館」に行ったことがあるけど、そういえば、あそこに行くのもこんな勾配のある坂道を登っていったっけな。
▼山頂に到着。案内板を見つけ、図書館を探す。あいかわらずわかりにくいな~この辺は。
あたりを見渡す。んあっ!?あれかっ!?あの建物なのかっ!?
▼あ~~っ!!あった、あった、ネットで見たあの建物だ!!やっと見つけたぜ。新天地にある公園で朝食を食べた後歩き出して約40分で到着だ。さっそく入館。
建物の2階が図書館だ。ずんずんと奥に進むと、施錠されたガラス戸の向こうに「ガロ」や「COM」のバックナンバーや、古いマンガ雑誌、単行本がぎっしり。
手にとって読みて~~~~っ!!
ガラス戸越に指をくわえて熱いまなざしを送っていたのさっ。(あとでネットで調べたら、貸し出しは出来ないが、申請すれば閲覧は出きるんだってことがわかったよ)
結局、ここでは、<研究資料コーナー>にある本に的を絞って、帰りの新幹線の出発時間(15:00)に間に合うまで、時間の許す限りねばったのだ。
残念ながら、所期の目的である「平田弘史傑作集(全六巻)」とは遭遇できなかったが、満足の行く結果は得られたのだった。
この日、集中して読んだのは以下の本なり。
●劇画大学/辰巳ヨシヒロ
1968.1.10
発行所/㈱ヒロ書房
上京後、国分寺で、さいとう・たかを等と「劇画工房」を設立(1957年)してから10年後の「劇画の現在」を書き留めたアーカイヴ集。
劇画創設者自身による回顧録的劇画史、劇画家紹介などが記されていて、貴重。
史料価値は十分に高いのだ。
この本が刊行された1968年は、劇画にとっては重要年で、大メジャー「週刊少年マガジン」(講談社=音羽系)は、ライバル「週刊少年サンデー」(小学館=一ツ橋系)に対抗すべく、それまでマイナー扱いであった劇画を導入して、誌面の急速な劇画化を加速させ差別化を図っていく。
当時の大学生(全共闘世代)がこれを強力に支持して、「週刊少年マガジン」は部数を150万部に拡大し(1970.1.4/2号で150万部発行宣言)、70年代を驀進していくのである。
ちなみに、当時の劇画化した「週刊少年マガジン」の象徴的な作家が川崎のぼる(「巨人の星」)で、川崎がいちばん多忙を極めたのは、1968年であったという証言もあるのだ。
「辰巳ヨシヒロ単行本リスト」アーカイヴ
●プレイボーイ千人斬り
佐藤まさあき (1939年9月15日~2004年3月11日)
発売/道出版
2000.3.15 初版第1刷
こともあろうに、この図書館に蔵書された佐藤まさあきの自伝は、「劇画私史三十年」でもなく、「劇画の星をめざして」でもなく、それらの自伝書を原型とした、自らの性の遍歴書であるこの本なのだった。
ちなみに、全12章のタイトルは、
●幼い恋、17歳で道程喪失
●漫画家として自立、ロリコンに目覚める
●ファンとして接近してきた女を片っ端から
●『劇画工房』の設立と妻、紀代子との出会い
●私を地獄の日々に引き込んだ京都の女
●ヤルのは3回まで、本格的プレーボーイ開始
●女房、子供を隔離しプレイ道に励む
●乱交パーティー室もある!佐藤ビル完成
●底知れない女の魔性、マゾ性を知る
●劇画に疲れビニ本に進出してモデルと
●男性自身の復権を求めて勧告で女三昧
●ついに理想の女性、韓国美人と三度目の正直
といった具合なのだ。
また、ごていねいにも、各章ごとには、ヤッた女の顔写真入りで、キャプションもなかなかにステキなのだ。たとえばこんな具合。
●私をロリコン地獄に引きずり込んだホーコはまだ12歳だった
●コーフンすると内部がナマコのようにうごめきだす名器のK・M子
●マリーの顔を見ながらの射精は最高だった
etc.
公共図書館で読める味わいの1冊なり。
▼ちなみに、ボクが持っている佐藤まさあきの自伝本はこの2冊だ。
●劇画私史三十年
東考社
(辰巳ヨシヒロの実兄である桜井昌一の起こした出版社)
1984.5.15
●「劇画の星」をめざして →→→→→
- 誰も書かなかった「劇画内幕史」-
文藝春秋
1996.10.30. 第1刷
さいとう・たかをにしろ、辰巳ヨシヒロにしろ、佐藤まさあきにしろ、大阪出身のこれら「劇画工房」出身の劇画屋に共通して面白いのは、彼らが皆作家であると同時に、自ら出版社を起こしてメディアを自前化している点なのである。
上京後の大メジャー雑誌には相手にされない、インディーズでのスタートが、レーベルを自前化せざるを得なかったゆえの自己防衛策なのだろうか。
●『仕事-発見シリーズ 漫画家』 永井豪
実業之日本社
1992.10.20 初版 第1刷
もうずいぶん前に、中村橋にある練馬図書館で見かけた1冊に、ここ広島で再会。
永井豪のデビュー前の習作作品群の一端に触れることが出来て貴重。
①中学時代の習作
②高校時代の習作
③投稿時代の習作
④石森章太郎のアシスタント時代の習作
▼途中、館外に出てお昼を食べる。いい天気だな~。山頂から市内を望む。
▼ベンチに寝そべって空を見上げたら、秋晴れの青空に飛行機雲が流れ、すぐに消えていったんだ。
さあ、そろそろ出発の時間だ。
充実した3時間半だったよ。
ボクは山を降りることにしたのだった。
つづく
by misaochan333
| 2008-09-29 01:14
| 自分遺産